
半魚が忘れた輪切りの夢
小林藍+詩霖
※9.28(月)のみ休廊
街になった祖母、街になりかけている母、半魚の私。街と海を繋げる川沿いで、何かが起こっている。私たちは何を忘れ、何を思い出したのだろうか。
「思い出さなくてもよくなっちゃうんだよね」
「自分が本当はどこにいて、本当はどこにいないのか」
「どこにいても同じ場所、同じ自分だったら、どこにも行かなくていいはずでしょ?」「私ってもともと魚だったの」
「ずっと昔の話だよ」
「でも、元に戻らないって、誰に分かるの?」「私が生まれた時のこと覚えてる?」
「浜辺に打ち上げられた魚みたいに、口をぱくぱくさせてた」


詩霖と小林藍は武蔵野美術大学の学生で、わたしは二人の展示は何度か見ている。二人の卒業制作と修了制作について簡単な紹介をしておく。
小林は作品において「物語」の構造を扱う。卒業制作の映像では、役者がシンデレラの物語を何度も語りなおすのだが、彼はそのたび言い間違いをしてしまう。「シンデレラ」のような予定調和的に同じ結末を迎える物語に対し、言い間違いを通じてその可能性空間を探索することで、わたしたちが知っている「シンデレラ」はこうした可能性空間のなかでたまたま選ばれた一つであるという偶然性が強調されることになる。
詩霖は、その修了制作において実体と映像の錯綜した関係を主題化していた。衣服やテーブルなどの「抜け殻」が展示され、これら抜け殻のオブジェクトはそれぞれ二つずつあり、部屋ごとコピーされているかのように配置されていて、鑑賞者はこの「部屋」のなかに入りこむ。これらの抜け殻となった部屋を歩くことで、鑑賞者もまた幽霊となる。その部屋では指が影を触ろうとする映像が投影されており、触覚は裏切られる。
企画について話していた中で、わたしが覚えているのは、二人の故郷についての話である。詩霖は深圳、小林は川崎市と、規模も国も違うがどちらも工業都市であり、二人ともその街に流れる川の話をしていたことを覚えている。
二人は普段、それぞれ違った関心に基いて制作しているが、今回の展示においては、こうした情報の交換を出発点として、一つの共有の物語を汲み上げる。制作者のスタイルを飛び越えて軽やかに協働制作を実現してしまう様には驚いてしまうが、楽しみにもしている。
天重誠二
アーティスト
小林藍
2002年生まれ、神奈川県出身
物語がどう作られるかに関心を寄せ、映像、漫画、インスタレーション等を制作する。展示空間の秩序であるマップやキャプションを作品に巻き込みながら、フィクションの立ち上げ方を試行する。
展示歴
| 2026.08 | 「NEW HORROR 2026」 Art Center NEW |
| 2026.07 | 「観察室の手紙」 武蔵野美術大学 gFAL |
| 2025.10 | 「神殿ごっこ_改逅」 Park!Park!Park! |
| 2024.04 | 「カーブの始まりドーナツの入口」 Room_412 |
詩霖
1997年生まれ 深圳(蛇口)出身
分析哲学の観点から言語と造形について考える
展示歴
| 2025.06 | 「壁にふれる」 FAL, 東京 |
| 2025.02 | 「言ったことない息」 Up&Coming, 東京 |
| 2024.06 | 「Pass-spect-If」 FAL, 東京 |
| 2024.04 | 「我々は数多の知る由もない先行きの面影に湧き立つ」 gallery αM, 東京 |
トークイベント
9月26日(土) 17:00から、アーティストの百瀬文をゲストに迎え、トークイベントを行います。
会場がそこまで大きくなく、場合によっては入場をお断りする場合がございます。