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Salvage/Adrift
Lewis Davidson+西永和輝

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「Salvage/Adrift」 Lewis Davidson+西永和輝 2026年4月18日-2026年5月17日
開催期間:
 〜 
開廊時間:
水木17:00 - 19:00
土日祝13:00 - 19:00(最終日含む)

タイトルについては3人で話し、最終的にはメールで決めた。わたしはこのタイトルをひどく気にいっている。このタイトルは、salvage(引き揚げ作業) と adrift(漂流)という二つの単語をスラッシュで区切るという単純なものだ。

ルイスの制作過程は、廃棄されるプラスチックを salvage することから始まる。他方で、西永の典型的な作品では、フレームに附着した石膏は船に附着するフジツボを思わせ、造形物が破損していく過程を定着しようとしている。
わたしたちはこの広大な海のなかで、破損して漂って、どこかに漂着して、また何かに生まれかわるのかもしれない。こうしたイメージをわたしが語ってしまうのは、二人の展示にとっておそらくは強すぎる意味づけになるだろう。もうすこし軽快なニュアンスをルイスは求めたのだった。
メールで西永は「共通の基盤の上で差異を際立たせるという方針」について語り、それをルイスは気にいった。それは、話がまとまるというよりは、このスラッシュの区切りの意味が互いに受けいれられたからだった。
わたしたちはバラバラなまま、漂着するようにここに辿りついている。それは一つのイメージを作りあげる過程であるかもしれないし、それが解体しつづける過程であるかもしれない。

天重誠二(SPACE NOBI)


アーティスト

Lewis Davidson(ルイス・デヴィッドソン)

Lewis Davidson

ルイス・デヴィッドソン(1990年生まれ)は、ロンドンを拠点に活動。彫刻、アニメーション、サウンド、写真、インスタレーションなど、多岐にわたる表現手法を用いるデヴィッドソンは、日常的な素材を用いて、それらが持つ価値、目的、場所との結びつきを変容させようと試みている。彼の作品は、現代社会への関わりと、そこからの逃避という二つの要素を絶妙なバランスで融合させている。主な個展・二人展に、「Electric Fall」(Des Bains、ロンドン、2025年)、「KUNST-Stoff」(ザンクトガレン大学、スイス、2023年)、「Shallow Haunts」(Kupfer、ロンドン、2023年)、「CLICKERS」(Xxijra Hii、ロンドン、2022年)などがある。2019年にスレード美術学校で修士課程を修了(フェリックス・スレード奨学金および学部長奨学金受給)。卒業時にはアルマカンター・スタジオ賞を受賞し、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の学術優秀者リストにも名を連ねた。
デヴィッドソンの作品はスイスのザンクトガレン大学の常設コレクションに収蔵されている。
https://www.lewis-davidson.com/

西永和輝(Kazuki Nishinaga)

Kazuki Nishinaga

東京在住。彫刻家。2016年武蔵野美術大学彫刻学科卒業、2019年スレード・スクール・オブ・ファイン・アート修士課程修了(江副記念リクルート財団第47期奨学生、エドワード・アリントン賞受賞)。人工的な構造と有機的な形態、設計されたものと時間による変化が、分離できない状態で接している界面に注目し、そこに蓄積する不完全な翻訳を形にする彫刻作品を制作。近年の主な展覧会に「Rampant」(callbox, 東京, 2026)、「巣喰ウ装飾」(Gallery 美の舎, 東京, 2022)など。
https://kazuki-nishinaga.jimdofree.com


組織化のサイクル——ルイス・デヴィッドソン+西永和輝「Salvage/Adrift」

勝俣涼(美術批評)

本展のタイトルは、「salvage」と「adrift」という二つの英単語の組み合わせによって成り立っている。前者は廃品回収、あるいは海難救助や沈没船の引き揚げなどを意味し、後者は船などが漂流する状態を形容する。たしかにこの二語は、ルイス・デヴィッドソンと西永和輝の制作を結びつける説明概念として働くだろう。両者のこれまでの作品を振り返ってみるならば、デヴィッドソンはしばしば、社会空間に漂うプラスチック片を回収、再構成することでひとつのオブジェを形づくってきた。他方で西永には、長い沈没の末に引き揚げられた漂流船を思わせる彫刻がある。ただし両者の造形的なアプローチは、対照的でもある。

プラスチック片のアサンブラージュによるデヴィッドソンのオブジェの多くが、「clicker」と題されたシリーズに属することは示唆的だ。「clicker」は、「カチッ」という音を発するものを意味する。このクリック音は、たとえば歯車の溝に差し込まれた爪が回転によって弾かれ、新たな溝と噛み合うといった、一連の「分離−接合」を音声的に裏づけている。デヴィッドソンの制作過程においても、各々のプラスチック片は元の帰属先から切り離され、彫刻的なオブジェという新たな帰属先へと再接合される。こうしてひとつのオブジェが、互いに異なる来歴をもつ複数のパーツから組み立てられ、部分相互の差異を際立たせるように色分けされたパーツは、立体的なモザイクを形成する。

アサンブラージュの手続きを通じて、個別のパーツはひとつの全体へと組み込まれる。この全体の統一性は、対称的なコンポジションによっても高められるだろう。デヴィッドソンのオブジェはたいてい、そうしたシンメトリーの構造をもっており、それが紋章のようなシンボリックで安定した形態を導いている。宗教建造物や、合理的に設計された機械装置を思わせるフォルムは、その一例と見なせるだろう。だがコンポジションの対称性は同時に、同型のパーツを複数——たとえば、右側と左側に同じものを——揃えることを要求する。プラスチック片の由来となるプラスチック製品が工業的に大量生産され、複数の同型物が流通する環境は、その社会的条件をなしている。その意味でデヴィッドソンのオブジェは、特定の用途に向けて作られた最終生産物であるというよりも、生産・流通・消費・廃棄・分解・回収・再利用といったサイクルに生じる結節点(ノード)のようである。パーツが分離−接合を介してこの結節点としてのオブジェを出入りすることで、モザイクの編成をたえず組み替えることが示唆される。色彩的に差別化されたパーツは、この代謝的な解体と再構成を促すだろう。

デヴィッドソンのオブジェは、経済的なサイクルの結節点であると同時に、それ自身の成り立ちにおいても、パーツ間の明確な分節を強調している。この分節性があってこそ、メリハリのあるコンポジションが可能になるはずだ。他方、西永の彫刻も同様に、結節点への関心を示している。ただし西永の場合、その関心は、構造の分節的な成り立ちを明確化するのではなく、むしろ曖昧化する手続きへと方向づけられる。その一例が、船をモチーフとした作品に見られる。竜骨と肋材という剥き出しの骨格に還元された船体は、構造的な分節を明示する。だがフジツボが船に付着し、ついには飲み込んでしまうかのように、その骨格には石膏の不定形な塊がまとわりつき、当初の構造を覆い隠してしまう。デヴィッドソンにおいては既成の工業的なパーツを指し、部分間の識別性を担保していた「プラスチック」は西永の場合、分節化に適合しない、可塑的ないし塑造的な材質特性を形容する語へと転倒するだろう。石膏や粘土のような柔軟な素材は一般に、要素間の差異を条件とする構成主義的な立体作品とは異なり、彫刻にひと連なりの表面を与える。

構造を被覆するものへの関心は、「装飾」に対する西永の関心にも通底する。だが西永は、構造を「上から」覆うだけでなく、船の部材と部材をつなぐ結節点から、言い換えれば構造の「内側から」それを変形するような操作も試みている。船体のパーツを接合する接着剤(メディウム)はふつう、それ自体が外に見えることなく、構造的なフレームの安定を支えている。西永はこの副次的な中間材を過剰化し、接合部から溢れさせる。そのとき接着剤は、当初の役割を越え出て、独自の振る舞いを見せ始めるはずだ。

分節的な構造に対するこの侵襲は、工学的な観点、人間活動にとっての合理性という観点から見れば、破壊的な働きかけと見なされるだろう。だが別の見方をすれば、フジツボに覆われた船体は、人間とは別の生き物たちの棲み処へと再組織化された環境とも言える。ひとつの人工物が、当初の製作者が想定していなかった対象と接点をもつことで、別の系を形づくる。この点に関するかぎり、デヴィッドソンのオブジェと西永の彫刻は、分節性をめぐるそのアプローチの対照性にもかかわらず、共鳴するのではないだろうか。人間にとってあるべき「船」の像が、漂流船に取り付くフジツボの意識には判然としないように、回収・再接合されたプラスチック片の各々もまた、もはやそれが本来、何に帰属すべきものであったのか判然としない。デヴィッドソンのライトボックスに揺らぐ、(オブジェ作品とは打って変わって)輪郭のぼやけた事物の影像は、そうした不確定性にまつわるまた別の表現であると言えるかもしれない。


謝辞

アーティスト・イン・レジデンスの実施にあたって、リー智子さん(小平市、ででどこ)、吉野祥太郎さん(アーティスト、the BASES)のご協力を仰ぎました。感謝申し上げます。

[助成]
グレートブリテン・ササカワ財団